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松井先生講座(森保研No.-7);厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

 このたびの松井教授講義で、一番興味深かったのがこの項目なのです。
 この項目とはつまり『厳島神社門前町への主たる進入経路の盛衰』……
 「主たる進入経路」と仰せだから、あれ?ハァ!そうかそうか。盛衰とは変遷のことで、時代によって進入経路が変わったのであるから何てことはない。 このあたり、松井先生の言葉使いは不肖トーマス青木と違いおおいにあり。
 ま、いずれにしても宮島に入る方法を論じているわけで、宮島は瀬戸内海海上の陸地と離れた島である。 だから、島に入るには船を利用するしかない。 本土との間に橋や地下道などあるわけないから、今もそうする。 今なら宮島口桟橋からフェリーでわずかに10分間。 (埋立地の)宮島港桟橋に辿りつけるのであります。 今と違って江戸時代以前の舟は『帆かけ舟』乃至『手漕ぎ舟(伝馬舟)』で漕ぎつけて、どこかの浜から上陸するのでありますから、このあたりから松井先生講義にロマンを感じるのですなぁ~…

 ------------------------(以下、講義資料抜粋…)----------------------------------------
E. 厳島神社門前町への主たる進入経路の盛衰
(1) 厳島神社門前町のうち西町への進入経路
▪ 前近代の厳島神社門前町を描いたものは、その大半が西方から描いている
▪ 前近代に描かれた厳島神社門前町の絵画では、多くの船が東向けの進路を取っている
▪ 西町への侵入経路は多くが、大元神社の辺りか大願寺の下辺りと推測できる
➝ 厳島神社門前町のうち西町への進入経路は、本社より西方が通例であったと考えられる。大元神社から山越えする経路が最もよく利用されたのではないか。
(2) 厳島神社門前町のうち東町への進入経路
▪ 古い東町への進入経路は、長浜神社の辺りからの山越ルートかもしれない。
▪ 後の東町への進入経路は大半が、有浦の海岸からのものに変わったと思われる▪ 長浜神社の辺りからの山越ルートは、『遊郭』などへの入口として後まで使われた
➝ 古くから続いていた長浜神社の辺りからの山越ルート上に、聖域を守るための仁王門と大弥堂があり西町への進入経路としても注目できる。ある時期までは世俗の入口と参詣の入口は違っていたのかもしれない。しかし、有浦が交易の拠点として栄るようになると、厳島神社門前町への古い進入経路は重要度が下がって行ったといえよう。
(講義資料、続く…)
---------------------------(講義資料抜粋引用は、ここまで……)----------------------------
 対岸からなら手漕ぎ舟で間にあったでしょうが、広島や呉や尾道あたりから宮島に向かうならば、風の力も当然必要なわけで、帆かけ舟を使って風向きを読み読み24時間で2回変わる(実際には4回、6時間ごとに変わる)の潮の満(みち)たり干(ひ)いたり、干満の時間に合わせて潮流を読みながら「潮の流れ」に逆らわないよう気をつけて、宮島の「しかるべき海岸」に接岸していたのでありましょう。 たぶん、広島あたりからでも往復丸々一日かけて、宮島に渡ってきたに違いありません。 帆かけ舟とこの辺りの海の関係や如何に? そう、帆かけ舟と天候や波の関係、朝から午前、正午から午後、夕刻から夜中、真夜中から暗い早朝。暗い早朝から夜明け、そんな一昼夜の時間の経過を宮島の島中心に考えつつ、厳島神社を取り囲む弥山山麓と森の木立、植物から動物や昆虫まで? はたまた海岸線から海の中まで! 全ての情景を思い浮かべる。 自然と人工的建造物の組み合わせは見事でして、さすがにユネスコのお偉方もケチのつけようもなく程なく世界文化遺産に指定されるのであって、たとえUNESCOのレッテルを張ってブランド商品化しなくても、宮島はやはり美しく、人が創造した伝統文化と大自然が創造した景観のバランスが相調った『小宇宙』なのであります。

 美しい宮島へ、
 「何処の浜辺に舟を接岸したらよいか?」

 そんなことを講義で語り考えておられるのです。

 宮島の山「弥山山系」は険しく切り立った山並み。
 島全体が花崗岩で出来ていて、今も宮島もみじ谷駅と弥山山腹獅子岩(たぶん標高420メーター位か?)を結ぶロープウエイに乗れば一目瞭然! トンビか鷹か鷲のごとく舞い上がり(すなわち鳥瞰図的に)上から眺めれば、宮島は深く切り刻まれた『皺だらけ』の、つまり表面積の広い島でありますけれど、対岸や海上から眺めれば、それは『寝観音さま』と称される如く、凹凸の美しい山並みを呈するのでありますが、それは宮島と弥山山系にえぐられた醜く危険な尾根と谷の織りなす「襞(ひだ)」の集合体。 すなわち宮島は切り立った尾根と深い谷底の連続で成り立っていて、一度迷い込むと二度と人目につくような場所に出てこれないという位に毎年数人もの遭難事故があると聞き及ぶ程に(実際に遭難者が出るそうですが、発表しないだけだそうです)それなりに結構ややこしい大自然の怖さが潜んでいるのであります。 加えて、不肖トーマス青木も数年前までは全く知らなかったし、ほどんどの観光客が知らないのですが、宮島の周囲を一周出来る道は通っていないのです。 周囲を取り巻く道路は(そんなことこそトーマス青木の嫌いな「宮島本」に詳しく正確に出ているはず)外周の20%にも満たないはず、もちろん自動車の通れる道はその半分程度か?
 でもって何故にそうか?と考えれば、必要ないから?そう、海上を回って行った方が到達し易いからですけれども、結局島の外周のほとんどは切り立った岬であって、一々の岬を山に辿ると皆揃って弥山の頂上に繋がるのであります。 それほどまでに険しい弥山だから、海岸線も切り立っており、尾根の逆の谷に沿って僅かな平地や浜を形造る海岸線が存在するのです。 例えば、厳島神社の場所はまぎれもなくもみじ谷や大聖院のある割れ目等の谷の行き着く先にあるのですな。 でもここは厳島(海上)神社とその境内があるのですから、港として使えない。だから、その西の大元神社乃至大元公園はたまた宮島水族館(只今改装工事中)の付近に「中世前期の宮島の入口」があった。と、松井先生は『論立て』しておられるのです。
 今も残っている宮島を描いた古い絵画から、当時の「旅人のあれこれ」を勝手に空想想像していると、いろいろ想い浮かぶことあり。 そんなこんなで、「松井先生は、中世の宮島への旅にいざなって下さる……」ってなことで、松井先生講座は中世寺社文化を漂わせつつ薫り高く、創造的且つ知的な歴史ロマンに満ち溢れているのであります。
 そうなんです。
 現代の宮島表参道商店街や有浦は(明治時代以降に?トーマス青木めの知識は不確かです)埋め立てられたのであって、(中世の厳島神社絵画に見られるように)今の宮島港から厳島神社に至るまで平地がほとんどみあたらず、ほとんどの建造物は海上に橋下駄(がんぎ[雁木]と称するもの?)を組んで、つまり陸地から海にせり出したカタチで建てられた「海上家屋」が軒を連ねているのであります。
 つまり宮島に上陸するための「港のかたち」をなしていたと思える場所は?
 =出入りする玄関口となった港はいずこか?
 さて講義資料の中、
 厳島神社より西の方向に位置していたと思わしめる「厳島神社絵図」がある。
 中国山地から遠望した厳島のパノラマを描いたその絵図(巻物だったはず)のなか、当然ながら厳島と本土を隔てる水道を見降ろしつつ、当時の瀬戸内の海上風景が描かれている。 遠く西方向海上の先には「大竹」や「玖波」の港が記され、その方面から、複数(約10艘近く)の帆かけ舟が東に向かって帆走している絵図がある。帆走の方向は、明らかに宮島とその対岸の水道を目指しているのである。 この絵図から推測すれば、各舟の目標は明らかに厳島神社の東のしかるべき「浜=港」を目指している。
 そりゃそうですなぁ……
 今でもそうです。 宮島口港から10分間、自動車8~9台に加えて約2~300人もの乗客を載せて宮島港に航行する現代のフェリーボートだって「宮島港」と「宮島口港」にきちんと接岸できる鉄製の桟橋があるからこそ何ら問題なく運航できるのであり、今や年間300万人突破の宮島観光客をはじめ約1千6~7百人の宮島島民の玄関口が存在しているのです。
 これ、言ってしまえば「解り切ったこと」です。
 今の宮島港桟橋が出来たのはごく最近の出来事であって、(正確には資料参考しあらためて表記します)、まだ半世紀も経っていないはず。 で、何故に「今の場所に宮島港」が出来たのか?などなど、歴史学の面白さはいわゆる年代を丸暗記する「切り口学習」ではなく、何故にそうなったのか?歴史を(切り口ではなく)流れ(フロー)として眺め、その変遷理由を考え想像するところにだいご味があるのです。 でもって、先ずは中世の「宮島の玄関口」の変遷を知らなければ、「宮島の町の特徴」を掴めないということ、よく理解できます。 
 さて、ここまでが西町への入口です。 後世から発展する東町の入口『長浜神社の辺りからの山越ルート…』について、東町の特質が現れてきますが、この辺りを何だか、今に頃になってヒタ隠しに隠し見えなくしているのです。 無論、松井先生講座に於いても直接的には触れられていなく、聴講生も質問なく未だにぼんやりしていますけれども、ここはひとつ、カフェマガジン旅遊亭にて切り込んでみたいと思います。
 これ、次回記事に譲ります。<…続く……>  (投稿:トーマス青木)


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