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ウイスキー的な額縁画像で如何?……

drinks20100430a

 この画像で、どうだろうか?

 いやその、実は、生まれて初めてブログというものを知った「ブログ運営の初期的段階」に於いてして、旅遊亭ブログを飲食関連産業のイメージで立ち上げようと努力した。 当時(平成18年ころだったか?)嬉しげにインターネットを駆使し、世界の情報を探していたら、ウイスキーマガジン」なるものを発見、そしてこの画像を見た。
 いやいや、この画像がことのほか気に入りまして、そして数年経過し、このたび(平成22年4月30日)再度見つけたけれど、額縁画像として使えるかどうか?
 「Cafe & Mag. 旅遊亭」の額縁として、ふさわしいか?どうか!?
 読者諸兄姉のセンスにお応えできるかどうか?
 「……?」
 「そう、ランキングクリック的応援なり、拍手マークのクリックなり、何らかの『カタチ』にて賛否の程、お示しいただければ幸いです」(投稿・トーマス青木)

 そして、これがおまけです!

    

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花岡拓郎先生共著本;『生きている文化遺産と観光』

20100429a
<添付画像>:論文集(Living Heritage:生きている文化遺産と観光)

 お待たせしました。
 今年3月30日に発刊されたばかりの観光関係論文集、すてきな本の紹介です。 そうです、『花岡拓郎先生』の本が出ましたのでご紹介します。 題して『生きている文化遺産と観光』。

生きている文化遺産と観光―住民によるリビングヘリテージの継承生きている文化遺産と観光―住民によるリビングヘリテージの継承
(2010/03)
藤木庸介神吉紀世子

商品詳細を見る

 建築デザインご専門の藤木庸介さんと10名の新進気鋭の若手研究者うちそろって、計11名。 それぞれ20ページずつの論文を合計して230ページにわたる、観光開発と文化遺産保護の共生に関する論文集です。 観光産業従事者ならびに旅行に興味のある人は必携必読の一冊、必ず手に入れなければならない宝物です。

20100427b Dr.Hanaoka

 そして、花岡先生の論文は、

第2部 伝統産業・文化を継承するために
5章 もてなしの文化を支える地域社会
  広島県宮島・厳島神社門前町……花岡拓郎

1 旅人の島
2 リビングヘリテージとしての門前町
3 日本三景としての景観づくり
4 暮らしに息づく信仰
5 門前町を支える地域社会
6 世界遺産登録がもたらしたコト


 中味は?と、問われれば、この著書のリーダーである藤木庸介先生の序文に「キッチリ」と要約解説されており、見事な文章は起承転結相整い、逐次論旨を述べられております。 読み終えて胸がスッキリします。 でもって旅遊亭読者の諸兄姉には是非ご一読いただきたく、都合(つまり関係先無許可で)カフェマガジン旅遊亭にてコピペ掲載します。是非続きを開いて読み進めて下さい。(投稿・旅遊亭編集部)

MORE »

4月木曜会;「漱石を読む会」を終えて…

 先週は珍しく滅茶忙しい日々続き、漱石読書会称して『木曜会』開催(4月22日)されて早くも4日経過です。この3日間、不肖トーマス青木メは寝ても覚めてもはたまた朝な夕な、「読書会報告書」を書こうと思いつつ本日に至りました。
 いやぁ~ むずかしい……
「何がむずかしいのか?」と問われれば、
 先ず、夏目漱石作『夢十夜』の読書感想を語るのは難しく、第二に、女性8名男性2名で構成される『木曜会』メンバーに馴染むのは不可能に近い難関で、第三に、並みの大学教授以上に博学博識な秀才I氏の講義スタイルの重厚さに圧倒され閉口し、近い将来、恐らく音をあげるに違いない。
 「誰が、どういう『ね』をあげるのか!ですって?」
 またもやトーマス青木が、直ぐにギヴ・アップ(Give-up!)ってことですよ。
 てなことで、めくるめく右往左往雑念入り混じった未整理の脳裏スッキリせず、毎朝目が覚めて、毎晩寝る前に、「今日こそ書こう!」とか「あす朝には必ず書かねば……」と思っていた『木曜会顛末記』、一念発起してようやく今朝になって書いた次第であります。
 まず、「夢十夜」読後感は、
 そう、4月15日に岩波文庫大活字版買って直ぐ、まともな昼間の時間に読む間無く、珍しく毎晩眠る前に読んだのがいけなかった。半分眠りかけて読むものだから脳裏吸収力悪く弱く、10種類の夢物語からなるプロット&ストーリーは、眠る前4~5分で読み切れるものだから一晩で一作品読み進めるに丁度良かったけれど、眠る前の萎えた気力で読み進めた結果、作品『坊っちゃん』からイメージする「明るくて元気にメリハリのある夏目漱石」からほど遠く、別人の作品ではないかと想像するほどに暗くて意味不明とまではいかぬとも難解にて、まことに後味の悪い作品であった。 
 けれども、あにはからんや! ここが読書会の良さであります。 独りでは気が付かなかった「夢十夜」の切り口が次々と出て来るは出て来るは! 漱石好きインテリ中高年女性集団と主宰者I先生の絶妙なやりとりから、多くの発見あり、、、。
『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、1908年(明治41年)7月25日から8月5日まで朝日新聞で連載されたとのこと。どうやらお盆前の読み物にして夏目漱石流怪談集。云わば「背筋の寒くなるような幽霊話」を短編で書き続ったものだそうだ。
 私は、第6話が好きです。
 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。……(夏目漱石小説「夢十夜」引用)
…で始まり、
 …ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。……(夏目漱石小説「夢十夜」引用)
 で、終わる。
 で、何故第6話が好きか?と、問われれば、
 他の話がいわゆる怪談的不気味さ漂いつつ奈落の底に落ちつつも底にたどり着けない無限の恐怖感に苛まれた、そんな神経衰弱風末期的症状の生半殺し的な雰囲気は、かろうじてこの6話には見当たらない。要するに、「暗くないから好きなのだ!」と言いたい。暗くて気分落ち込み読み進めたくなくなる(のは、自分だけか?)ような他の夢(悪夢)物語(すなわちドリームではなく、いわゆるナイトメアー:悪夢)の論評は、既にかなり多くの漱石評論学者挙って「諸説」を振りかざし、それなりの諸評のカタチが出来上がっているようで、それを読みあさるのも面白いかもしれない。今日に至るまで、漱石研究に興味無く縁のなかった自分が知らないだけか?思うに、この類の漱石作品の背景には、漱石自身の英国滞在中から始まった「漱石的ヨーロッパ文化の蓄積」からほとばしる膨大な欲求不満と、漱石流日本的価値観の狭間から湧き出るネガティブな試行錯誤の状態が「この作品(夢十夜)」にぶちまけられたのか? その比較対象として挙げたいのが「ぼっちゃん」や「吾輩は猫である」的な漱石作品だ。 そこには、漱石の、十二分に蓄え昇華されていた漢文世界と日本的知識人としての博識教養の素地に加え、ヨーロッパ文化解釈をブレンドしたのち上澄みのみを厳選して汲み上げた「漱石作品」が存在する。それがぼっちゃんであり猫であるか。 この種の作品が、「人間漱石の精神構造ブツ」(漱石と云うワイン)を透析(デキャンターに移し替え)して、澱(ネガティブな世界の漱石作品)を省いた上澄み(漱石作品のポジティヴなもの)だとするならば、私は漱石のポジティヴな上澄みのみのワイン(漱石作品)を味わいたい。と願う、単純思考の嗜好をもった人種なのです。
 「ナぬ!漱石小説はワインか?……」
と、問われれば、
 「そう、小説なんて、ワインを嗜むのと同じ味わい方で、飲む代わりに読んで楽しめば良いのではありませんか?……」
と、お答えしたい、トーマス青木なのであります。
 認知症的雰囲気の漂う「夢十夜」の不気味な読後感はとりとめなく、この辺りで止め、読書会そのものに言及する。 読書会とは、「自分の読んだ本の読書感想を他人に聞いてもらいたいし聞きたい聞かせたい」という人たちの集まりである。 どうやら長続きしそうも無い。
 その理由は、初めてお会いする女性多く、『漱石を読む』という共通点あれども、女性と席を同じくして一定の時間を費やすのは苦手。 特に中高年女性の間に入って気を使うのは懲り懲りなのであります。(投稿・トーマス青木)


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木曜会のこと;「漱石を読む会」

 木曜会と称して「夏目漱石を読む会」は、本日(4月22日木曜日)午後1時30分より広島市内のレストランメルキュールにて開催される。 当会の発足は先月。 出来立てほやほや?発足したての読書会の初回例会は先月(3月末)、残念ながら先月の例会当日は所用あって参加できなかった。
 なにゆえか?旅遊亭の編集長トーマス青木は「こういう会合」に顔を出したがり、、

本日開催の第2回例会に、

 「どうしても参加するのだ!」

と言って(数日前から?)張り切っている。

 本日の題目は、夏目漱石の短編小説「夢十夜」……。
   
文鳥・夢十夜 (新潮文庫)文鳥・夢十夜 (新潮文庫)
(2002/09)
夏目 漱石

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 トーマス青木君が、上記「文庫本」を購入したのは先週の始め。 「読書好き」の噂高いトーマス青木君に於いてして、どうやら一度も「夢十夜」に接したことなく、このたび初めてとのこと。 どうやら先週末かけて、読むには読んだらしい。 やたら速読を誇るトーマス青木君のこと、短編とはゆえ、何しろ明治時代の文章にて、かなり読み辛かったはず、、、。 まして日本の誇る文豪夏目漱石の文章がスラスラ解せたのかどうか?非常に怪しい。 なんだか一昨年の読書格闘劇「カラマゾフの兄弟の顛末」と相通じるものがあるか。
 なにしろたいへん飽きっぽい性格ゆえ、木曜会参加が継続するかどうか?
 初回参加の感想のブログ投稿願いたく、一両日中に報告記事書いてもらいます。 継続しようが一回こっきりで参加中止しようが私の知ったことか!……
 どうやら面白い展開になりそうです。(投稿:エセ男爵


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ps:連載中の「松井先生講義報告」は、一寸休憩です。

松井先生講座(森保研No.-7);厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

 このたびの松井教授講義で、一番興味深かったのがこの項目なのです。
 この項目とはつまり『厳島神社門前町への主たる進入経路の盛衰』……
 「主たる進入経路」と仰せだから、あれ?ハァ!そうかそうか。盛衰とは変遷のことで、時代によって進入経路が変わったのであるから何てことはない。 このあたり、松井先生の言葉使いは不肖トーマス青木と違いおおいにあり。
 ま、いずれにしても宮島に入る方法を論じているわけで、宮島は瀬戸内海海上の陸地と離れた島である。 だから、島に入るには船を利用するしかない。 本土との間に橋や地下道などあるわけないから、今もそうする。 今なら宮島口桟橋からフェリーでわずかに10分間。 (埋立地の)宮島港桟橋に辿りつけるのであります。 今と違って江戸時代以前の舟は『帆かけ舟』乃至『手漕ぎ舟(伝馬舟)』で漕ぎつけて、どこかの浜から上陸するのでありますから、このあたりから松井先生講義にロマンを感じるのですなぁ~…

 ------------------------(以下、講義資料抜粋…)----------------------------------------
E. 厳島神社門前町への主たる進入経路の盛衰
(1) 厳島神社門前町のうち西町への進入経路
▪ 前近代の厳島神社門前町を描いたものは、その大半が西方から描いている
▪ 前近代に描かれた厳島神社門前町の絵画では、多くの船が東向けの進路を取っている
▪ 西町への侵入経路は多くが、大元神社の辺りか大願寺の下辺りと推測できる
➝ 厳島神社門前町のうち西町への進入経路は、本社より西方が通例であったと考えられる。大元神社から山越えする経路が最もよく利用されたのではないか。
(2) 厳島神社門前町のうち東町への進入経路
▪ 古い東町への進入経路は、長浜神社の辺りからの山越ルートかもしれない。
▪ 後の東町への進入経路は大半が、有浦の海岸からのものに変わったと思われる▪ 長浜神社の辺りからの山越ルートは、『遊郭』などへの入口として後まで使われた
➝ 古くから続いていた長浜神社の辺りからの山越ルート上に、聖域を守るための仁王門と大弥堂があり西町への進入経路としても注目できる。ある時期までは世俗の入口と参詣の入口は違っていたのかもしれない。しかし、有浦が交易の拠点として栄るようになると、厳島神社門前町への古い進入経路は重要度が下がって行ったといえよう。
(講義資料、続く…)
---------------------------(講義資料抜粋引用は、ここまで……)----------------------------
 対岸からなら手漕ぎ舟で間にあったでしょうが、広島や呉や尾道あたりから宮島に向かうならば、風の力も当然必要なわけで、帆かけ舟を使って風向きを読み読み24時間で2回変わる(実際には4回、6時間ごとに変わる)の潮の満(みち)たり干(ひ)いたり、干満の時間に合わせて潮流を読みながら「潮の流れ」に逆らわないよう気をつけて、宮島の「しかるべき海岸」に接岸していたのでありましょう。 たぶん、広島あたりからでも往復丸々一日かけて、宮島に渡ってきたに違いありません。 帆かけ舟とこの辺りの海の関係や如何に? そう、帆かけ舟と天候や波の関係、朝から午前、正午から午後、夕刻から夜中、真夜中から暗い早朝。暗い早朝から夜明け、そんな一昼夜の時間の経過を宮島の島中心に考えつつ、厳島神社を取り囲む弥山山麓と森の木立、植物から動物や昆虫まで? はたまた海岸線から海の中まで! 全ての情景を思い浮かべる。 自然と人工的建造物の組み合わせは見事でして、さすがにユネスコのお偉方もケチのつけようもなく程なく世界文化遺産に指定されるのであって、たとえUNESCOのレッテルを張ってブランド商品化しなくても、宮島はやはり美しく、人が創造した伝統文化と大自然が創造した景観のバランスが相調った『小宇宙』なのであります。

 美しい宮島へ、
 「何処の浜辺に舟を接岸したらよいか?」

 そんなことを講義で語り考えておられるのです。

 宮島の山「弥山山系」は険しく切り立った山並み。
 島全体が花崗岩で出来ていて、今も宮島もみじ谷駅と弥山山腹獅子岩(たぶん標高420メーター位か?)を結ぶロープウエイに乗れば一目瞭然! トンビか鷹か鷲のごとく舞い上がり(すなわち鳥瞰図的に)上から眺めれば、宮島は深く切り刻まれた『皺だらけ』の、つまり表面積の広い島でありますけれど、対岸や海上から眺めれば、それは『寝観音さま』と称される如く、凹凸の美しい山並みを呈するのでありますが、それは宮島と弥山山系にえぐられた醜く危険な尾根と谷の織りなす「襞(ひだ)」の集合体。 すなわち宮島は切り立った尾根と深い谷底の連続で成り立っていて、一度迷い込むと二度と人目につくような場所に出てこれないという位に毎年数人もの遭難事故があると聞き及ぶ程に(実際に遭難者が出るそうですが、発表しないだけだそうです)それなりに結構ややこしい大自然の怖さが潜んでいるのであります。 加えて、不肖トーマス青木も数年前までは全く知らなかったし、ほどんどの観光客が知らないのですが、宮島の周囲を一周出来る道は通っていないのです。 周囲を取り巻く道路は(そんなことこそトーマス青木の嫌いな「宮島本」に詳しく正確に出ているはず)外周の20%にも満たないはず、もちろん自動車の通れる道はその半分程度か?
 でもって何故にそうか?と考えれば、必要ないから?そう、海上を回って行った方が到達し易いからですけれども、結局島の外周のほとんどは切り立った岬であって、一々の岬を山に辿ると皆揃って弥山の頂上に繋がるのであります。 それほどまでに険しい弥山だから、海岸線も切り立っており、尾根の逆の谷に沿って僅かな平地や浜を形造る海岸線が存在するのです。 例えば、厳島神社の場所はまぎれもなくもみじ谷や大聖院のある割れ目等の谷の行き着く先にあるのですな。 でもここは厳島(海上)神社とその境内があるのですから、港として使えない。だから、その西の大元神社乃至大元公園はたまた宮島水族館(只今改装工事中)の付近に「中世前期の宮島の入口」があった。と、松井先生は『論立て』しておられるのです。
 今も残っている宮島を描いた古い絵画から、当時の「旅人のあれこれ」を勝手に空想想像していると、いろいろ想い浮かぶことあり。 そんなこんなで、「松井先生は、中世の宮島への旅にいざなって下さる……」ってなことで、松井先生講座は中世寺社文化を漂わせつつ薫り高く、創造的且つ知的な歴史ロマンに満ち溢れているのであります。
 そうなんです。
 現代の宮島表参道商店街や有浦は(明治時代以降に?トーマス青木めの知識は不確かです)埋め立てられたのであって、(中世の厳島神社絵画に見られるように)今の宮島港から厳島神社に至るまで平地がほとんどみあたらず、ほとんどの建造物は海上に橋下駄(がんぎ[雁木]と称するもの?)を組んで、つまり陸地から海にせり出したカタチで建てられた「海上家屋」が軒を連ねているのであります。
 つまり宮島に上陸するための「港のかたち」をなしていたと思える場所は?
 =出入りする玄関口となった港はいずこか?
 さて講義資料の中、
 厳島神社より西の方向に位置していたと思わしめる「厳島神社絵図」がある。
 中国山地から遠望した厳島のパノラマを描いたその絵図(巻物だったはず)のなか、当然ながら厳島と本土を隔てる水道を見降ろしつつ、当時の瀬戸内の海上風景が描かれている。 遠く西方向海上の先には「大竹」や「玖波」の港が記され、その方面から、複数(約10艘近く)の帆かけ舟が東に向かって帆走している絵図がある。帆走の方向は、明らかに宮島とその対岸の水道を目指しているのである。 この絵図から推測すれば、各舟の目標は明らかに厳島神社の東のしかるべき「浜=港」を目指している。
 そりゃそうですなぁ……
 今でもそうです。 宮島口港から10分間、自動車8~9台に加えて約2~300人もの乗客を載せて宮島港に航行する現代のフェリーボートだって「宮島港」と「宮島口港」にきちんと接岸できる鉄製の桟橋があるからこそ何ら問題なく運航できるのであり、今や年間300万人突破の宮島観光客をはじめ約1千6~7百人の宮島島民の玄関口が存在しているのです。
 これ、言ってしまえば「解り切ったこと」です。
 今の宮島港桟橋が出来たのはごく最近の出来事であって、(正確には資料参考しあらためて表記します)、まだ半世紀も経っていないはず。 で、何故に「今の場所に宮島港」が出来たのか?などなど、歴史学の面白さはいわゆる年代を丸暗記する「切り口学習」ではなく、何故にそうなったのか?歴史を(切り口ではなく)流れ(フロー)として眺め、その変遷理由を考え想像するところにだいご味があるのです。 でもって、先ずは中世の「宮島の玄関口」の変遷を知らなければ、「宮島の町の特徴」を掴めないということ、よく理解できます。 
 さて、ここまでが西町への入口です。 後世から発展する東町の入口『長浜神社の辺りからの山越ルート…』について、東町の特質が現れてきますが、この辺りを何だか、今に頃になってヒタ隠しに隠し見えなくしているのです。 無論、松井先生講座に於いても直接的には触れられていなく、聴講生も質問なく未だにぼんやりしていますけれども、ここはひとつ、カフェマガジン旅遊亭にて切り込んでみたいと思います。
 これ、次回記事に譲ります。<…続く……>  (投稿:トーマス青木)


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松井先生講座(森保研No.-6);厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

D項は、西町の特色を取り上げる。宗教的関りが西町に集約され、その事が特色であるとする。
そう云えばそうかもしれない。宮島の現在の街並み景観も風情も(東町と比較しながら)どことなく厳格さを感じる。読者の皆様も、次回宮島訪問の節は是非、西町と東町を見比べて頂きたい。
意識してご覧になれば、西町の厳格性や聖域性に気が付かれるはず。その聖域性が故に、18世紀(江戸時代中期以降)に東町が出現する切っ掛けになる。と、松井先生は(東町発展過程の理由を)論立てされておられる。<…続く……

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   ----------------------------------------------------------

(以下、講義資料引用)

D. 厳島神社門前町の町掟や習俗に見られる西町の特質
(1) 厳島神社後背の西町の厳格さと寛容さ
▪ 厳島神社への類焼を恐れる社家の要望で、神社周辺にある民家などを排除する
▪ 厳島神社に不浄などが及ぶのを恐れ、近くの社家・供僧などに一定の役割を求める
▪ 厳島神社の大祭に多くの人が参詣するのは、古くから必要悪として認めている
➝ 厳島神社門前町のうち西町では大祭の場合を除いて、最も重要な聖域である神社に不幸な事態が起こらないように厳重かつ細かな配慮がなされている。聖域である神社を守ることが、西町の人々がなすべき最も大きな仕事であったといえる
(2) 厳島神社門前町のうち西町に偏る宗教的ポイント
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、神社に仕える社家・供僧やその下人が多い
▪ 厳島神社門前町のうち西町の住人は、宮島の地主神である大元神社と深く関る
▪ 宮島の霊峰とされる弥山登山口も、古くは厳島神社の西町に集中している
➝ 厳島神社門前町のうち西町は神社と深い関りを持つだけでなく、その聖域性を維持するために厳格かつ大きな役割を果たすことが求められていたのである。また、このことが遅くとも18世紀になるころ、東町という支配単位が確定された要因といえよう。
 (講義資料引用終り…)

 (投稿・トーマス青木)

松井先生講座(森保研No.-5); 厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

講義資料の第3項(=C)に於いては「西町と東町」の空間に注目。厳島神社の東西に発達した性格的に異質な町の存在が取沙汰される。そして、西町と東町の相異が明らかにされている。講義の要点は以下講義資料赤字反転部分の文言に集約されている。

 さて、ここで質問的確認です(既にご存知の方は外して)が、
 「宮島に何度も足を運んでおられる諸兄姉よ! 厳島神社を起点に、西と東に(今も)実存する街並みの風情や構築物の相違にお気付きの方はいらっしゃいますか?」……
 気がついておられたならば、否、お気付きの点乃至ご自身のご意見と比較対照しながら『松井先生講義資料』を熟読して下さい。 そう、たえず自分の「独自な観点や意見」と「学者の説」を比較しながら考察するところに、歴史の『学問としての面白さ』ある。と、思うのであります。(投稿・トーマス青木)



(以下、講義資料引用)

C. 厳島神社門前町の異質な空間と寛容性
(1) 厳島神社門前町の東町と西町
▪ 厳島神社門前町のでは18世紀初頭以前から、東町・西町という呼称が確認できる
▪ 厳島神社門前町のうち西町は、江戸時代に入る以前から発展していたといえる
▪ 厳島神社門前町の本社より東か西かで、東町・西町の区別が見られたようである
➝ 厳島神社門前町のうち西町は、本社を取り組む形で古くから発展していたようである。
(2) 厳島神社門前町の寛容性と東西の違い
▪ 戦国時代後期の厳島神社門前町には、神社を悪魔と考えるキリシタンも住んでいた
▪ 江戸時代初期に『遊郭』が移設された(≒寛容)
▪ 毛利輝元は厳しい町掟を布いても、厳島神社門前町は異質なものの存在を許した
➝ 厳島神社門前町のなかでも、神社と古くから深いかかわりのある西町と、繋り方が薄い東町のあいだでは、異質なものに対する寛容性にも差異が見られたと考えられる。大内義隆の滅亡後に宮島に逃れてきたキリシタンも、密かに東町の一角に住まいしていたと考えられる。
(講義資料の引用はここまで)

 <…続く……

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 * 連載中の前回記事は、こちらから入れます。

松井先生講座(森保研No.-4); 厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

(以下、講義資料引用)

B. 描かれた厳島門前町の空間認識とその変容

(1) 空間認識を異にする2枚の絵画
▪ 明治時代中期の観光案内の絵図は、厳島神社門前町を統一性ある空間として描く
▪ 江戸時代前期の一層の屏風絵は、厳島神社門前町を複数の異質な空間として描く
▪ 片や観光名所(場所)と(場所を結ぶ)道路を強調して描き、片や宗教的にポイントとなる個所を描く
➝ 近代と前近代の絵画とで、観光重視か宗教重視か空間認識を大きく異にする

(2) 厳島神社門前町の原始的な在り方とは
▪ 前近代では厳島神社を中心に描いても、他の宗教的なポイントにも役割を持たせる
▪ 前近代では谷々の建物や人物を統一せず、それぞれ個性や独自の役割を帯びさせる
▪ 前近代の厳島門前町の各部分には、歴史や成り立ちの違いが反映されている
➝ 前近代の厳島門前町は谷々で歴史性や成り立ちを異にしても、それぞれの独自性を認め穏やかに結びつくことを可としたようである。少なくとも江戸時代前期の画家はこのことを受け入れ、変更することなくありのままに描いたといえる。厳島門前町の本質を明らかにするためには、この様な原始的な在り方まで遡ることが必要になる。(
講義資料引用、ここまで)


 各種異分野の宮島研究者によって、歴史を遡って描かれた宮島絵地図をめぐってさまざまな研究がなされている。
 いやさ、この記事投稿にあたって、些か迷った。
 つまり今迄の投稿スタイルを踏襲し、「関連画像を添付」しながら記事書き進めて行くかどうか?についてである。
 ここは敢えて止めた。松井先生から頂いた絵地図はなかなかコピーできない。まるで宝物だ?とは言わないまでも、コピーのコピーをさらに画像撮りしてブログ掲載するのも莫迦馬鹿しくも見っともなさ過ぎるではありませんか。。。
 ま、でも、歴史学者が研究をする過程に於いて「古い文献」か「絵図」を読み解き、さらには論文に引用するのは多々ある。 古い文献や絵画の解読は、歴史研究に於いて必要不可欠な日常的作業か。 過去の事実を検証しながら研究を進めて行くのが「歴史という学問」なのか。 法律世界に言い換えれば、某裁判で、犯人の残した証拠物件を立証しながら公判を進めるようなものか。 いや、法律のそれとは少し違うようだ。 ま、真夜中にこんなことはあまり考えない方がいい。
先に進めるとして、
 それで、松井先生の結論は、
(1)古い地図は『宗教と人間のかかわり』をデフォルメ強調しながら描かれた絵図多く、
(2)比較的新しい地図は『人間と経済のかかわり』を意識した絵図が多くなっている。
と、説かれる。(が、これで良いか?ま、良いであろう!)
 つまり、ここ(絵図の歴史)の中でも、宮島の歴史上宗教的隆盛ののち、それに続いて始まった観光産業が意識的に描かれている。
さて、
 この投稿のトーマス青木的結論は、あくまでも『経済学史』的に捉える。そのほうが宮島を理解し易い
 でもって整理すれば、
A)門前町に於いて(という前提が付くが)宗教も、非常に大きな経済活動であり、
B)さらには門前町に集まる参拝客目当てに宮島での観光関連産業が勃興し、
C)観光都市としての宮島は、古い歴史と伝統の中に育まれた観光地である!
 ムム、
 なんと宮島と云う所は「厳島神社や仏閣に経済活動まで依存する」? そんな無我の境地の観光地か?(決して無我夢中無欲の境地ではないであろう…) 世界文化遺産となった今、そしてその将来は?(…続く) <投稿・トーマス青木>

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 * 連載中の前回記事は、こちらから入れます。

松井先生講座(森保研No.-3);厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって

受講感想―その1(前回掲載記事はこちらから入れます・・

    --------------------------------
(以下、本日該当分 Recture Plan 抜粋)

厳島神社門前町の空間構造とその変遷をめぐって
―神の論理と人の論理の葛藤と協調を中心に―

平成22年3月28日
於鶴学園広島校舎
松井輝昭先生


A. はじめに

(1) 門前町宮島 その特色は
▪ 寺社の門前に発展した封建集落(定義)
▪ 門前に住まいする『住人』とは、僧侶や神官に奉仕し(僧侶や神官の)日々の営みを支える
▪ 門前に住まいする『住人』とは、参拝者に利便を供し様々な商売を行う
➝ 寺社と住人は、持ちつ持たれつの関係にあったといえる。
(2) 宮島門前町の立地と軸線
▪ 宮島門前町の立地≒宮島の本土側(北側)に開けたいくつかの谷よりなる
▪ 厳島神社に関る複数の軸線は、特定地域を結ぶ厳密な法則性を有する
▪ 宮島神社門前町を構成する各谷も、特定の秩序を持って繋がると考えられる
➝ 最も大きな問題は厳島神社門前町への侵入経路の変遷と、江戸時代初期に宮島へ『遊郭』が移設されたことであろう。

                         (以上、講義資料より抜粋)

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以下、本日の本文,,

 この松井先生講座の公開された背景には、鶴学園広島工大森安研究会ベースとなって開催された日本建築学会中国支部・建築計画委員会都市住宅学会中国四国支部等々あり、本講座はあくまでも建築工学の専門家の勉強会なのです。
 講義の始まったその瞬間、松井教授の最初のお言葉は「この講座のレクチャープラン作りの切り口を『何処に求めたらよいのか?』に苦慮された」との事、お話されました。良く理解できます。それもそうでしょう。いくら歴史学ご専門の文学者であっても建築研究世界には全く予備知識のないこと、松井先生ご自身で仰せられ、それから講座が始まったのです。もちろん、建築工学と云えども自然科学のような純粋理論の追求ではなく、人間の歴史が学問の背景に潜んでいるわけで、したがって人間を取り巻く他分野の学問を包括的に取り入れて研究を重ねてこそはじめて「本来的研究目標」に到達?否、近づける訳であります。私にとってはHit-upon! 非常に興味深くて退屈しない講義時間(約1時間30分)でした。引き続いて質問の時間が設けられたものの、松井先生講義の内容をかみ砕いた上の質問は皆無でして、すなわちほとんどの受講者は歴史に疎く、はたまた、さしあたって歴史探究の必然性や興味をあまりお持ちでない方々が多く、中には、一度も宮島を訪れていない受講者も列席されていたのには驚きました。
 考えてみれば、異分野の学問の講義を受け、受け終わった瞬間から「分野の違いを乗り越えた質問」が可能となる天才は、このたびのメンバーには存在しなかっただけで、質問皆無の状態が在って然り、これが通常でありましょう。
 さて、建築学並びに都市構造の素人にして宮島中世歴史学の玄人松井先生が建築工学の専門家集団の為に切り取られた「宮島歴史の講座」は、どうやらこのレクチャープランの『はじめに』に集約されているのであります。
 もう一度トーマス青木流に整理すれば、つまり、
A)厳島門前町の「町のかたち」が如何にしてできあがったか?
の基の基を辿れば、
* 寺社と住人は、持ちつ持たれつの関係にあった…
にあって、云いかえれば、寺社機能に寄生した人間集団が居た。と云う事になるでしょうか?
B)厳島門前町の「町のかたち」が形成される過程として、
* 最も大きな問題は厳島神社門前町への侵入経路の変遷と、江戸時代初期に宮島へ『遊郭』が移設されたことであろう…
などの、特殊な状況や事情のもとに「宮島のまちのかたち」が形成されていった、という前提を(松井先生は)最初にお話しされた(ようだ)。(投稿・トーマス青木) <…続く……

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森安研究会(No.-2);松井先生のレクチャープラン

 先月末から数日に亘って降りしきる寒い雨の毎日、がんばって作業した。
 いやなに大したことではありませんぞ。森安研究会(開催日:平成22年3月28日)「公開講座」の時に頂いた「松井先生のレクチャープラン」をパソコンに(ワード文章資料として保存したく思い)書き写したのであります。(第1回投稿記事はこちらから入れます…

 ?

 不肖トーマス青木あたりが時たま安請け合いしてやる講演会クラスならメモ書き程度で始める。 されど大学教授レベルならばレクチャープランといえども既に小論文。
 まして松井輝昭先生の"Lecture Plan"ともなればなおさらです。
 つまり、その講義に参加した聴講生のための「特定小論文」であるからして、旅遊亭ブログ記事中に公開するのは問題あり!いわゆる著作権大侵害になるかどうか。と、考えるのですが、如何か?
 ま、あまり難しく考えないで、公開の目的は松井先生の講義がいかに素晴らしい内容であったか! ということをブログ上で言いたいが為の手順だから、ここはお許しいただきたい。 もうひとつ、レクチャープランの組み立て方に特色あり、今迄、それに気がつかなかった?と云うよりこのたび初めて気がついた。松井先生流の特徴を見つけた。 『それ、一体何か?』を、追って説明したいが為の比較対象資料を提示しておきたい。<・続く・・

    (投稿・トーマス青木)
 
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